こんにちは。miwaです。
私、「ヨガ哲学の中に・・・ヨガ哲学では・・・」とかよく書いていますが「そもそもなんなの?それ?」という方、または「ヨガを日常に活かすって何?」という方も多いのではないでしょうか?
ヨガは幸せになるために行うもので、最終目標は「瞑想」と言われています。ヨガと言えばアーサナと思われがちですが、そのアーサナも含め幸せになるための手段がヨガなのです。具体的にどんなものなのか、またどうやって生活に役立てることが出来るのかをご紹介します。
ヨガ哲学=アシュタンガ(八支則)
ヨガにはアシュタンガ=八支則といって、ヨガをどのように実践していったらよいかを8段階に分け、まとめられているものがあります。有名な経典に「ヨガスートラ」といわれる、紀元前に聖者パタンジャリによってまとめられたものがあります。
①ヤマ・・・・・・・・行わないほうがいいとされているもの
・アヒムサ/非暴力
・サティヤ/正直
・アスティヤ/不盗
・プラフマチャリヤ/禁欲
・アパリグラハ/不貪
②ニヤマ・・・・・・・行ったほうがいいとされているもの
・シャウチャ/清潔
・サントーシャ/知足
・タパス/苦行・自制
・スヴァディアーヤ/読誦・学習
・イーシュワラ・プラニダーナ/神への祈り・信仰

③アーサナ・・・・・・座法
④プラーナヤーマ・・・調気法・呼吸法
⑤プラティヤハーラ・・感覚の統制
⑥ダーラナ・・・・・・集中・精神統一
⑦ディヤーナ・・・・・瞑想
⑧サマディー・・・・・三昧・悟り ・超意識
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私たちが「ヨガ」と言って思い浮かべるのは、ほとんどが「③アーサナ」の事です。しかし、昔から伝えられているヨガとは①~⑦を順に行うことで、最終的に⑧のサマディーの境地に到達することが目的で、サマディーがヨガのゴールともされています。(ちなみに①②が出来ない人は③のアーサナをする資格がないとされています。)つまり、①~⑦はサマディー(幸せ)の状態になる為の道具という訳です。
私も同じように思っていた時があります。正直に言えば、今でもこのようなことで自分の幸せを測ろうとする時はあります。
ですが、上記のヨガ哲学をよく学ぶと、①~⑤は日々の行いや身体の鍛錬についてであるのに対し、⑥~⑧は精神・心の鍛錬についてとなります。つまり、日常生活や身体を整えてから精神を整えることが大切で、最終的な幸せは心の在り方であると説いています。少なくとも「幸せ」は、先ほど挙げたような数えることができたり物質的なものではないと、ヨガ哲学を学ぶことで気付くことができました。
現代の日常生活に活かすヨガ哲学
こんな話をすると、とかく「ヤバいやつやん」「やっぱり宗教なんだ」「怪しい」と日本では敬遠される方もまだ多いのですが、私は特に何の団体にも属していませんしこれを読んだからと言って何かに勧誘されることもないのでご安心を!(笑)
このようなヨガの教えが生まれたのは大昔の紀元前の時期までさかのぼります。その為、この教えを現代の日常生活に置き換えて、今の私たちの生活でも実践できるヨガが必要だと思っています。
すんなりと理解できる(受け入れられる)こと、例えば「暴力をふるわない」とか「清潔にする」とか「盗まない」などもあれば、すぐには理解できなかったりするものもあります。特に「ニヤマ」の「スヴァディアーヤ」とか「イーシュワラ・プラニダーナ」などは、中々今の時代では理解しづらいものかもしれません。
現代の生活に活かせる「ヤマ・ニヤマ」
【ヤマ】
●アヒムサ/非暴力
誰かを殴ったり言葉で傷つけたりすることには敏感な人が多いと思います。でも心の中で暴言を吐いたりしてませんか?また、自分自身に対しても体調が悪くても無理を強いたり、「私なんか無理」などと自分を否定していませか?
●サティヤ/正直
自分や他人に嘘をついていませんか?本当は行きたくない飲み会に仕方なく参加したりしていませんか? 良かれと思って、心にもないことで人を褒めたりしていませんか? ヨガでは、相手のことを思ってつく嘘もしないほうが良いとされています。
●アスティア/不盗 他の人の物・知識・時間などを奪わない練習。
物を盗むことはもちろん、アスティアには知識や時間も含まれます。約束の時間にいつも少しだけ遅れたりして相手の大切な時間を奪っていませんか?お店で買う気もないのに、定員さんに商品の情報だけ聞いたりしていませんか?愚痴を言いまくって、相手のエネルギーを奪っていませんか?
●プラフマチャリヤ/禁欲
食欲など、食べたいと思うまま必要以上に食べ過ぎていませんか?起きる時間なのに、いつまでもだらだらと眠っていませんか? 欲望をコントロールできず溺れていませんか?
●アパリグラハ/不貪
洋服やアクセサリーなど必要以上に持っていませんか?本当は1つしか必要ないけどスーパーに行ったら安かったから5つや6つも購入してませんか?
【ニヤマ】
●シャウチャ/清潔
身体を清潔に保つことはもちろん、お部屋やクローゼットに使わない洋服や食器などが眠っていませんか?またシャウチャには思考も含まれます。もう終わった過去をくよくよ悩んだり、まだ起こってもいない未来を必要以上に不安に思っていませんか?
●サントーシャ/知足
他の人と比べて、あの人はすごい豪邸に住んでいるけど、私の家は小さいから・・・とか私には彼氏がいないから・・と自分にないものばかりに目を向けていませんか?自分にあるものや出来ることに気付き、感謝できていますか?
●タパス/苦行・自制
日々の自分の役割(会社員として・主婦(夫)として・父親や母親として)に真剣に丁寧に取り組んでいますか?仕事中に他の誰かやるだろうと見て見ぬふりはしていませんか?家事でも、まあいいかと手を抜くことをしていませんか?
●スヴァディアーヤ/読誦・学習
日々、学ぶ気持ちで生活していますか?本を読むことも大切ですし、例えば日常生活で起こる出来事から学べること、仕事から学べる事・子供の言動から気づかされること、そんなことからも学ぶ姿勢を持つことはできていますか?
●イーシュワラ・プラニダーナ/神への祈り・信仰
どうしても自分にはどうすることもできないことがあると理解して、その流れに委ねてみることはできていますか? 天候不良で飛行機が欠航になってしまっても、一喜一憂するのではなく、まあ仕方ないかと穏やかな気持ちで受け入れることが出来ていますか?
あくまで私の個人の意見としてご参考にしていただけると嬉しいです。
ヨガ哲学「ヤマ・ニヤマ」の実戦とは自分探しのこと

もし「ヤマ・ニヤマ」はどれか一つだけが完璧に行われていてたとしても、それはヨガを実践していることにはなりません。全ての項目において「出来ている」と言えることが重要となります。 何故なら、これらは全ては相互に関連し合い、時には相反する場合があるからです。
例えばこんなことがあります。
✔仕事をするとき
生活していく為には仕事は必要ですので通常「タパス」と考える人が多いですが、無理して体調を壊すまで仕事をしてしまうことは「アヒムサ」となります。
✔夢に向かって頑張るとき
なりたい自分があるけれど、「サントーシャ」の教えから私はこのままでもOKなんだと思いやるべき努力をしないときは「タパス」に反することになります。
✔そもそも生きているだけで奪ってない?
私たちは、自然界から食べ物や飲み物、呼吸のための空気をいただいて生きていますが、これは「アスティヤ」や「アヒムサ」に反することにはなりませんか?
このように、いざ実践をしようと考えると、恐らく同じような疑問やジレンマが浮かんでくることが多々あると思います。
✔どこまでが「タパス」でどこからが「アヒムサ」となるの?
✔どこまでが「サントーシャ」でどこからが「タパス」となるの?
そのボーダーラインを自問自答していくことが、日常で「ヤマ・ニヤマ」を実践することだと思っています。この自分のボーダーラインとは、自分の好きな事、うれしい事、喜ぶこと、ここまでは努力出来るという限界や自分の体力などを「自分らしさ・自分軸」知ることだと思います。つまり「自分と繋がること=ヨガをしていること」だと私は考えています。
ヨガ哲学を学んで自分らしい幸せを手に入れよう
自分軸がはっきりすることでブレない自分を意識できるようになり、外側からの変化や言葉に一喜一憂することが少なくなると思います。

私自身ずっと他人の目を気にしたり、本当は嫌なのに無理して「いいよ」と言ってしまったり、自分軸を簡単に変化させていました。その結果、自分で自分を不機嫌にしていました。このヨガ哲学を学んでからは、「私はこうなりたいから今これをしている」とか「これは大丈夫だけど。これ以上は断ろう」というボーダーラインがはっきりして、大げさかもしれませんが、少し生きるのが楽になりました。もちろん、まだまだいろんな出来事にその都度反応してしまう自分はいるのですが、これまでならその気持ちに踊らされていた自分が、「あ!今踊らされそうになってるよ」と気が付くことが出来、「これはタパス?アヒムサ?サティアの面からはどうかな?」と自分自身のボーダーラインを考えるようになりました。
ヨガをしている人は穏やかで、優しくて、受け入れてくれるように人が多いように感じますが、ヨガ哲学を学んでいる方が多いからかもしれません。これを読んで、アーサナだけではないヨガにも興味を持っていただけたら嬉しいです。最後までお読みいただきありがとうございました。
