こんにちは。ヨガインストラクターのmiwaです。
「ヨガ」と聞くと、何を想像しますか?何だか難しそうなポーズを取る姿や瞑想する姿、ほとんどの方がそんなことを思い浮かべると思います。私も自分がヨガを知るまではそんなイメージでした。しかし、実はヨガには単にアーサナ(ポーズ)を取るだけのものではなく、日常を生きやすくする知恵や考え方などを学べるヨガ哲学(ヤマニヤマ)があります。
今回はその「ヤマ」中の一つ「アパリグラハ」についてお話ししたいと思います。
【ヤマニヤマ】アパリグラハ(不貪)=欲張らない事
アパリグラハ=欲張らない事
アパリグラハとは、「不貪=ふとん」と日本語では訳されます。必要以上に何かを欲しがったり、誰かに求めたりしないことです。
「 アパリグラハ(不貪)がゆるぎなくなると、人生の目的が照らし出される 」
と記載されています。
つまり、アパリグラハの実践によって、自分の人生の目的をしっかりと持って生きていけるようになるとヨガスートラには書かれています。


【ヤマニヤマ】こんな状態はNG?!アパリグラハ(不貪)の実践はできてる?
チェック①それ本当にやりたい事?
やりたい事がたくさんあることはとても素敵だし、いつまでもチャレンジし続けることは大切な事です。「やりたいリスト」だったものが、いつの間にか「やるべきリスト」になってしまったり、何かを達成するために行っていたことが、行うことが目的になってしまったら要注意です。
あれもこれもと欲張りすぎてしまうと、本当にやりたい事を見失ってしまいます。


チェック②マイルールで自分も人も縛りすぎてない?
長く生きて入れば、生きた分だけ色々なこだわりやルールが沢山出来てきます。それは、物事をスムーズに行うためのルールであったり、自分なりの素敵なこだわりであったり、これまでの経験を元に、自分が快適に生きるための知恵が詰まっているとも言えます。
でもそれが、「常識」「当たり前」という言葉に置き換えられ、考えることなく行うようになってしまったり、良かれと思って誰かにそのルールを強要してしまうようになったら注意が必要です。
時代も周りも、そして自分も日々変化を続けています。当たり前に行っていたルールが自分や環境の変化によって合わなくなり、いつの間にか「こうしなければいけない」と自分や他人を縛るものに変化してしまっているかもしれません。
チェック③誰かに求めすぎてない?
誰かに期待しすぎたり、求めすぎたりしていませんか?自分の思うようにしてくれないにしてくれない相手に対してイライラしたり、哀しくなったりしたら、少し注意が必要です。自分に厳しい人ほど相手にも求める物が多くなってしまう傾向にあるそうです。
☆おススメ☆ヨガ哲学の本☆初めてでも楽しく読めます!
【ヤマニヤマ】アパリグラハの実践は3ステップ
ステップ①自分に大切なものを見極める
人には必ず「欲」があります。食欲・睡眠欲などの基本的な欲求から、何かをやりたい・成し遂げたいと思う気持ちや、誰かに認めてもらいたい・誰かからよく思われたい等々、自分自身を振り返っても欲まみれです(笑)。
その中から本当に自分にとって大切なものを見極めることが「アパリグラハ」の実践になると思います。
それ、今必要な事?
本当にやりたい事?
時々立ち止まって自問自答してみましょう。何気なく普段していることや、選んでいるものに少し心を向けてみましょう。もしかしたら、大切だと思っていたものが、実はもう必要なくなっていたり、ただの見栄を張る為に行っていたものかもしれません。
本当は必要ではないもの、今は必要ではないもの、いつ必要になるかもわからないもの
それに気が付いたら手放す勇気を持つことも大切です。
私自身、間違いなく欲の塊です。ヨガしたい、ヨガ教えたい、ブログ書きたい、ワークショップに参加したい、お友達にも会いたい、、、普通に仕事もしているので、基本的に休日の数が足りません(笑)。1日も24時間では足りません。だからこそ、自分にとって本当に大切な「欲」を見極め、取捨選択していくことが必要になります。
確かに、1日24時間を何にどう使うのかはとても大切です。やりたい事が明確で、それに1日8時間使える人と、あれもこれもと欲張って、本当にやりたい事に1日3時間しか使えない人とでは成長のペースも違うし、成功する確率も変わってくると思いませんか?


ステップ②執着していることに気付こう
「当たり前」・「常識」と思っている事に疑問を持とう
自分のルールも時々見直そう
ヨガ哲学には「私たちはいつも色眼鏡をかけて物事を見ている」という記載があります。青色の眼鏡をかければ物事は青色に見えるし、度数があっていない眼鏡をかけていればぼやけて見えたりします。まずは自分が眼鏡をかけている事に気が付く事が大切です。
私も結婚してから、自分が当たり前だと思っていたことがこんなにも当たり前ではないことを本当に思い知りました。例えば、タオルの使い方ひとつとっても、私はタオルによって用途を分けていた(トイレ用・キッチン用・洗顔用・スポーツ用など)のですが相手は違っていたり、キッチンの使い方・ごみの分け方など数えればキリがないですし、逆に同じようにしていたことの方が少ないような気がします。ですが、私にとってはそのやり方が「当たり前」であったし、相手にとってもきっと相手の当たり前であったと思います。しかも私は自分のやり方を相手に押し付けていました。「なんで同じようにやってくれないの?こっちの方が簡単にできるんだからこのやり方でやってよ」ってそれはそれは恐ろしい形相で無理強いしていたと思います。その結果、些細なことで本当によくケンカになりました。
これは、誰かと一緒に住むことが気が付くきっかけになったのですが、普段当たり前にしていること、特に日常の小さなことであればある程、気が付くことはとても難しいように感じます。
気が付かないだけで、日常生活は日々小さな選択に溢れています。1秒ごとに何らかの決断をしながら生きていると言っても過言ではないと思います。普段「当たり前」「常識」と思って意識を向けない事に少し意識を向け、まっさらな気持ちで物事を見ること、これもアパリグラハの実践の一つだと思っています。


ステップ③執着を手離そう
いつもとは違う方法や順番を試してみよう
誰かのやり方を真似してみよう
出来てもいいし、出来なくてもそれはそれで良し
「自分のルールや、常識・当たり前」という考えに自分が執着していることに気が付けたら、いつもとは少し違うやり方をしてみたり、誰かのやり方を真似てみるのも一つの方法です。新しい気づきがあるかもしれません。
また、「こうじゃないといけない」という思い込みを捨ててみることも大切です。結果を求めすぎず今を楽しむことができれば、もし結果が思った通りでなくても、それを受け入れる心の余裕ができます。
実際に必要以上に物を持ちすぎると、手放すことに恐怖を感じるかもしれません。
【ヤマニヤマ】アパリグラハの実践で穏やかな日常を
「欲」と聞くと、どうしてもよくないイメージがありますよね。以前知人にアパリグラハの話をした時に「それって欲を無くすってこと?私はそんな仙人みたいにはなれない」って言われたことがあります。
アパリグラハは「ヨガ仙人になろう」と言っているのではありません。
人は「欲」ないと生きていくことはできません。食欲など生きていく為には必要不可欠な能力ですし、こうなりたいという欲望があるから、頑張ったり努力できることも多く、実は私たちにとって「欲」は大切なものなのです。
ですが、つい必要以上に欲しがったり、求めすぎたり、自分自身で「欲」をコントロールできなくなると、周りの人にも嫌な思いをさせたり、自分自身を苦しめてしまう場合があります。つまり「欲をなくす」のではなく「必要以上に」という言葉がポイントです。
必要かどうかわからないものをたくさん抱えて身動きが取れなくなるより、自分にとって本当に必要なものに囲まれてシンプルに暮らしていけたら、きっと穏やかな生活が送れると思います。たまには、自分の周りの物に対して、人に対して、そして自分自身に対しても、もう一度本当に必要かどうかを振り返ってみませんか?
コメント
miwaさん、こんばんは
めちゃくちゃ共感しました。
仕事での事、プライベートの事もなるほどと言う事ばかりですね。
ヨガのスタイルは自分は同じインストラクターさんに執着しないように過去の失敗からするようにしました。
色々な気付きが、あり楽しいです😊
またブログ楽しみにしてます。
ゆきさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
最近のゆきさんは、色々なレッスンを受けて、とても楽しんでヨガをされているのが伝わってきます!
アパリグラハの実践が出来ると、ゆきさんのようにキラキラするんだなぁと思います。
ありがとうございます‼️